映画『真実の行方』ラストのどんでん返しを深掘り考察!

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映画『真実の行方』ラストのどんでん返しを深掘り考察! 映画レビュー

映画『真実の行方』は、1996年に公開された法廷サスペンス映画です。

舞台は冬のシカゴで、青年アーロン・スタンプラー(エドワード・ノートン)が殺人の現行犯で逮捕されることから始まります。

シカゴの弁護士マーティン・ベイル(リチャード・ギア)は、話題性のある事件を積極的に担当し、自分の名声を得るためなら、手段を選ばない弁護士です。

しかし、アーロンの穏やかで内向的な人柄に触れることで、彼を救うために無実を証明するために本葬します。ベイルは勝利を勝ち取った後に、とんでもない真実を知ることになります。

この映画は、エンディングまでの数分が一番の見どころとなっていますので、映画を見ていない方はネタバレ注意です。

 映画『真実の行方』とは?1996年公開のサスペンス映画を解説

法廷

作品概要(監督・キャスト)

監督は、グレゴリー・ホブリット。

主演はリチャード・ギアで、名声欲に溢れた凄腕の弁護士のマーティン・ベイルを演じています。

大司教殺しで逮捕された19歳の青年アーロン・スタンプラーは、本作がデビュー作となったエドワード・ノートンが演じています。

本事件の担当検事は、ジャネット・ヴェナブルで演じるのは、ローラ・リニー。

ジャネット検事とベイル弁護士は元恋人という関係であり、仕事だけではない因縁がある二人の法廷でのやりとりも緊張感があります。

エドワード・ノートンのデビュー作としての評価

エドワード・ノートンは、「真実の行方」で映画デビューを果たしました。

デビュー前の日本にゆかりがあるエピソードとして、祖父の都市計画の業務をサポートするため、日本にも滞在した経験があるそうです。

「真実の行方」では、アカデミー助演男優賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞 助演男優賞を受賞し、俳優として初出演にして高く評価をされました。

穏やかな青年から猟奇的な殺人犯といういくつもの人格を演じる演技は、俗にいう「脇役が主役を食う演技」でした。

「アーロン」と「ロイ」の二つの人格が存在し、アーロンである時は、伏し目がちで自信がない臆病な印象ですが、ロイである時は、不気味な自信と支配欲に満ち溢れた恐ろしい人物に成り代わります。

この映画について聞かれたら、「エドワード・ノートンの演技が圧巻」としか言いようがありません。

『真実の行方』のストーリーと事件の概要|大司教殺害の真相とは?

正義の女神像

シカゴで、大司教ラシュマンが自宅から遺体で発見されます。

事件発生直後に、血まみれで逃げ惑う19歳の青年であるアーロンが本事件の容疑者として逮捕されることから物語が始まります。

シカゴで起こった惨殺事件

大司教の死因は刺殺ですが、刺し傷が78か所もあり、犯行の凄惨さが際立つ事件でした。

容疑者のアーロンは大司教ラシュマンの聖歌隊所属に所属しており、侍者が大司教を殺害するというセンセーションな事件は、全米から強い関心を得ました。

この事件に目をつけたのが、マーティン・ベイルという弁護士でした。

ベイルは、弁護士として名声を得るための絶好の機会と考え、この事件の弁護を無償で担当します。

容疑者アーロン逮捕の経緯

アーロンは、返り血を浴びたような血まみれの姿で発見され、現行犯で逮捕されています。

逮捕後は、自分には全く身に覚えがないと証言し、容疑を否認します。

しかし、アーロンの衣服には、被害者である大司教の血が付着しているため、犯行の証拠としては充分です。

動機は不明ながら、アーロンは逮捕され、裁判が始まります。

敏腕弁護士マーティンの戦略

弁護士の男性

マーティンにとって、裁判は圧倒的に不利な状況です。

アーロンを犯人とする物的な証拠がそろっており、この状況を覆すのは困難でした。

まずは、依頼人との信頼関係を築くため、アーロンと面会します。

アーロンは、「犯行現場には、他にも人が居た」と証言をするのでした。

この証言とアーロンの穏やかな人柄にも触れたベイルは、アーロンの無実を信じ始めます。

マーティンの捜査とアーロンの異変

アーロンの精神状態を神経心理学者のモリー・アリントンに看てもらうことになります。

記憶を取り戻す治療の中で、「リンダ」という名前に強く反応することがわかりました。

マーティンは真実を探るため、大司教の身辺を調べます。

大司教には、闇深いもう一つの側面がありました。

聖歌隊のメンバーである少年少女たちに、性的に虐待し、その様子をビデオテープに保管していたのです。

ビデオテープの映像に映っていたのは、リンダとアーロンの姿でした。

「リンダ」は、アーロンと同じ聖歌隊に所属する少女だったのです。

この重大な事実を隠していたアーロンに対して、マーティンは激しく問い詰めます。

アーロンは怯えたように否定を続けていましたが、突然、マーティンを殴り飛ばします。

ここで、マーティンはもう一つの真実を目の当たりにしました。

パニックに陥ったアーロンが別の人格「ロイ」に成り代わったのです。

心神喪失と無罪の主張

大司教を殺害したのは、アーロンの中に存在する「ロイ」という人格でした。

アーロンの記憶はロイである間は、失われていたため、事件当時の記憶がなかったのです。

マーティンはこれまで、アーロンの無罪を主張してきました。

アーロンが多重人格であることを証明できれば、心神喪失で責任能力なしとなり、有罪にはなりません。

しかし、裁判の途中で主張を変えることは、裁判官や陪審員からの信頼を損なうリスクがあります。

マーティンは、ジャネット検事にアーロンの犯行動機の証拠となる性虐待のビデオテープを送ります。

これは戦略であり、敏腕弁護士のマーティンの片鱗が見えます。

ジャネットがこのビデオテープをもとに、アーロンに激しい尋問をすることを予測しており、混乱したアーロンがロイを呼び寄せることに賭けたのです。

案の定、法廷でジャネットは、アーロンには犯行動機があると激しく詰め寄りました。

ジャネットの激しい追及により、アーロンは「ロイ」に成り代わり、ジャネットの首を締めあげます。

首を絞めるロイの姿は猟奇殺人犯であり、恐ろしい光景でした。

裁判は中断、マーティンは見事にアーロンの多重人格を証明しました。

独自捜査やアーロンの多重人格の事実から戦略を柔軟に変更していくマーティンの敏腕さが際立つシーンです。

アーロンの裏の顔と二重人格の真実

街を見つめる男性

マーティンはアーロンを救うことができました。

新たな弁護士としての名声も手に入れることができ、裁判は大勝利という形で閉廷となりました。

マーティンは最後の挨拶のため、独房にいるアーロンに面会します。

最後の面会で衝撃の真実を目の当たりにすることになるのでした。

アーロンとの最後の面会

アーロンは笑顔で、マーティンに感謝の言葉を伝え、記憶はないがジャネットを襲ってしまったことを謝りました。

マーティンも「精神病院に収監されるが、すぐに自由の身になれる」と励ましの言葉をかけます。

最後の挨拶をして背を向けるマーティンにアーロンは、「彼女の首が無事であることを祈っていると伝えてくれ」と言いました。

青年を救って、誇らしげだったマーティンの表情が青ざめていきます。

振り返るとアーロンは、不敵な笑みを浮かべているのでした。

「アーロン」という人格がなかったとマーティンに告白します。

つまり、アーロンは多重人格でなく、心神喪失で罪を逃れるために、多重人格者の演技をしていたのです。

マーティンはその演技に踊らされ、アーロンを無罪にしてしまいました。

罪悪感と後悔に苛まれながら、マーティンはマスコミを避けるように裏口から裁判所を後にしました。

どんでん返しのラスト考察

この映画の最大の魅力はラストの数分です。

「アーロンは多重人格者で、別人格のロイが殺人犯」が真実であると、視聴者をミスリードさせています。

90年代は犯人が多重人格者という設定が流行していた印象があり、私も騙されていました。

今回の「真実の行方」も、犯人は多重人格者設定だと信じ切っていただけに、良い意味で裏切られました。

最後に真実を知ってしまったマーティンの気持ちに没入できるのも、面白い仕掛けだなと思ってしまいました。

エドワード・ノートンの演技も多重人格者のステレオタイプといった感じで、これが演技だとは全く疑うことができず、どんでん返し映画と呼ぶに相応しい映画です。

「ロイ」とは何者だったのか?

牢屋

「ロイ」は、アーロンの人格であり、人格は「ロイ」だけです。

大司教を殺害した理由は、アーロンが虐待の被害を受けたからだと推察されます。

この理由だけなら、ロイの犯行はまだ動機としては理解できます。

しかし、ロイは恋人だったリンダも殺しており、この部分がロイの恐ろしい部分だと感じました。

リンダを殺したのは、ロイの素性や性格を知っているという理由からです。

ロイがいつから多重人格者を装うことを計画していたのかは不明ですが、自分の本性をしっているリンダは邪魔な存在と判断したのです。

ロイは、自分の保身のために人殺しができる人間だということを示唆しています。

最後の衝撃シーンについて

アーロンがマーティンに真実を告げたラストシーンについて考察しました。

真実をマーティンに告げることなく、最後まで偽りのアーロン人格で恩便にやり過ごすこともできたと思います。

裁判が終わったとしても、多重人格が演技であることを明かすことはアーロンにはリスクです。

ですが、アーロンは「優越感」や「自己顕示欲」が抑えられなかったのだと思います。

マーティンは精神病者のアーロンに対して、憐みの気持ちをもって接していたことも原因かもしれません。

事実を知ったマーティンの後悔や罪悪感に苦しむ姿を見て、さらに優越感を感じ楽しんでいたと考えられます。

マーティンは、目立ちたがり屋で名声を得ることに執着している弁護士でした。

最後のシーンは表側出入口にいるマスコミを避けるように、裏口から裁判所を出る行動は、マーティンの心理を上手く投影しているなと感じました。

まとめ

映画「真実の行方」は、エドワード・ノートンのデビュー作でありながら、彼の才能を世界に知らしめた作品です。

多重人格という難しい役柄を見事に演じ切り、ラストシーンのどんでん返しは多くの観客を驚かせました。

法廷サスペンス映画としての魅力を最大限に引き出しています。

映画のストーリーや登場人物を考察することが好きです。
映画は「自分探しの旅」。
ブログを通じて、皆様の旅のサポートができたら、うれしいです。

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